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2026/09/13 13:29
『幻の追憶』(中島武夫・著/郵研社/2002年/非売品)は、太平洋戦争末期に少年ながら帝国海軍に応召され、教練を受けて兵役に就いた著者の回想記。
戦争を体感した先人たちが少なくなるとともに、個人の戦記や回想録も姿を消しつつあるように思う。特に個人の回想記は、記憶違いもあるかもしれないが、実体験なのでその臨場感が凄まじい。
海軍特別年少兵(略称・特年兵、正式名称は海軍練習兵)をご存知だろうか。
恥ずかしながら、私自身も「海軍特別年少兵」については、その内実を殆ど知らなかった。本書によれば、戦後20年以上その存在は、記憶からも記録からも忘れ去られようとしていたらしい。防衛省所蔵の海軍史を編纂した「海軍沿革史」にも「海軍特別年少兵」の事は一文字も記載されておらず、海軍元幹部もその存在すら知らなかったというから驚く。なぜそのようなことになったのか。ひとつは、著者も記しているが、戦後、自分の特年兵としての経歴を消したい、忘れ去りたい、無い事にしたいと考えていたといい、以降、自分の軍歴を履歴に記載する事はなかったとしている。多くの特年兵であった少年たちも同じように考えた人が多かったせいでもあるかもしれない。それだけ、凄惨で過酷な体験だったのだと思う。
しかし事態は動き出す。昭和40年を過ぎると、元特年兵有志による慰霊碑建立の運動が始まり、昭和45年に読売新聞と週刊読売紙面上で「海軍特別年少兵」の記事が書かれ、一般にも知られるようになる。昭和47年には東宝映画「海軍特別年少兵」が公開された。この映画に関して著者は、「体験した者にしか真実は分からないという事」と記している。
「海軍特別年少兵」に関しては、検索をしても映画のこと以外は殆ど何も出てこないので、本書は内情を記した貴重な史料かもしれない。以下に本文から抜粋して、書き留めて置きたい。
この海軍特別年少兵は、太平洋戦争突入直前に、将来の帝国海軍の根幹を成す軍人を養成するために設立されたとされている。応召年齢は、徴兵年齢よりも更に2才若い、数えで14歳(満13才)~。設立は尾崎俊晴中佐によるものだったと、戦後元海軍幹部のひとりが証言している。尾崎俊晴氏は「予科練」を創設したひとりとしても知られている。表向きは「志願兵」であったが、実際は学校ごとに割り当てがあって、半ば強制的な徴用であったようだ。著者も本文で記述している。
海軍特別年少兵は、将来の海軍幹部候補であるため、軍事教練、軍事学の他に普通教科も課されていたという。数学、物理、化学、地理、歴史、国語、英語と、かなり高度な授業だったようだ。1年半ほどの教練を積み、その後専門科に分かれて3カ月指導をうけて、各地に入隊し兵役に就くという段取りだったようだが、戦争末期は、最初の教練は10カ月に短縮されていた様子。
特年兵は、第1期~第4期まで招集されている。著者は昭和19年4月に第3期生として、長崎の針尾海兵団に入団しているが、第3期生はその後の史料では総勢5360名が招集され、そのうち2600名が針尾海兵団に入団したと記録されている。この数字は、戦後に編集された「日本海軍史」によるものだが、著者によれば、これが本当に正しいものかどうかは分からないと記している。資料があまりにも乏しいからなのかもしれない。また、針尾海兵団は、朝鮮の若者を徴用して造成されたということも書かれている。
「海軍特別年少兵」は、先に登場した元海軍幹部の話として、将来の海軍の根幹をなす軍人として養成することを目的としていたため、「戦闘員」では無かったとしている。しかし日本海軍史では、第1期~第2期生は3200名が「戦死」と記載されていた。これもどこまでが真実かは分からない。本書では、教練後に外地に派兵されていたらしいことや、多くの特年兵が沖縄戦で命を落としていることに触れているが、詳細は不明のままだ。
いずれにしても、海軍特別年少兵(海軍練習兵)という少年たちは、非戦闘員でありながら太平洋戦争末期には、派兵され、何らかのかたちで戦闘に参加していた事は事実だと思われる。
著者は、針尾海兵団に入団したあとの、軍事教練を記憶のある限り詳細に記している。ここでは、記載しないが、少年たちが、調教され、洗脳され、個人を捨て兵士として改造されていく様が痛々しいほどに描かれている。著者が人間としての尊厳を保ちながら過ごせたのは、個人のもともとの資質と、度重なる幸運によるものであったとしか思えない。それほどまでに、海兵団での教練は、連帯感の醸成などとはほど遠い、連帯責任と罰直、不信と猜疑、飢えと絶望で満たされていた。著者は2012年、82歳の時に朝日新聞の紙面「声~語り継ぐ戦争」に「飢えに苦しんだ特年兵の時代」と題して寄稿している。記事>>>https://www.asahi.com/special/koe-senso/id/0315/
国家と戦争という得体の知れない渦巻く力が、あらゆる個人の意思と命を呑み込んで消費してゆく姿に、改めて恐怖を感じる。今で言えば中学に入りたての少年を全国の学校から集め、海兵団で兵士に仕立てるシステムを構築していたこと自体も恐ろしい。
著者の母親が発する「まさか戦争に行くなんて・・」という言葉が、素直な心情だったと思う。徴兵年齢にも達していないわが子が、「まさか」であっただろう。最終的に著者は、霞ケ浦航空隊に配属となり、ほどなく終戦。無事復員しているが、外地に派遣され、戦場に立たされた少年たちは何を思っただろうかと考えると、いたたまれないし、切ないし、悲しすぎる。戦争は、あらゆる物を使い、あらゆる手段を使い、あらゆる命を使い戦い続ける機械のようになってしまうのではないだろうか。停止ボタンを押すまで止まらない。ボタンが無ければ、破壊しなければ止まらない。やはり、戦争は始めてはならないということを、心に刻んでおくべきだと思う。
著者は、本書を書くことで、長年のこころのわだかまりが溶けたような気がすると記していることが、僅かな救いではある。忘れ去りたいような体験を、文章にする事は大変な作業だったと思うが、後の世の人が読める形に残して頂いたことに感謝したい。

