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2026/08/15 16:57

『国民投票の総て』(今井一、「国民投票の総て」制作・普及委員会 編著)を何度も読み返しています。
民意を置き去りにしたような法案が次々と成立・可決されていく日本の議会政治。いったいどういうことなのだろう?と思ったことはありませんか。
今こそ、この『国民投票の総て』を多くの方に読んで頂きたいと思い、当店では店舗2階のイートインスペースで自由に閲覧できるように置いてあります。
この本は、2017年にクラウドファンディングを活用して発行されています。
その理由として、編集者、出版社、その他何者にも「忖度」しない、完全自由な執筆を目指すためとしています。
既存の出版・流通システムを使わずに発行したため、全発行部数は分かりませんが、販路拡大は困難だったのではないかと推測されます。私個人も、この本が出版されている事を全く知りませんでした。
現在は、増補版が電子書籍で購入できるようですので、可能な方はぜひ購入して読んでみてください。
「国民投票の総て」制作・普及委員会のメンバーは、「形骸化している国民主権・市民自治」を変えていくためには、「国民投票・住民投票」による直接民主制に移行した方が良いと感じている方々のようです。
本書は、国内・国外の「国民投票」の実態を、非常にフラットに事実として書いていますが、最後には一人の国民として「どう考え、どう行動し、どうあるべきか」を突き付けられる面もありますので、ある程度心構えが必要かなとも感じました。但しこれは私的な感覚ですので、全くそう感じられない方もおられると思いますので、ご参考まで。国民投票の歴史的事実、海外の事例、独裁政権下の国民投票、そして日本の国民投票のこれからなど、精緻に編集されています。
『国民投票の総て』を何度か読み返してみて、理解が深まった事があります。それは日本の政治のシステムは、普段から思っている通り、民意が反映し難い構造になっているということです。議会・国会・政党、あるいは議員個人、あるいは国民の政治への関心の低さなどのせいでは無く、そういう仕組みになっているということです。この構造自体を変えていかない限り、与党政党が変わっても、内閣・大臣が替わっても、同じ事が繰り返される確率は非常に高いと言わざるをえません。
日本において、私たち市民が直接的に政治に意志を伝えられる機会は、議会の議員を選ぶ「選挙」ただ一つと言っても過言ではないでしょう。署名や陳述、デモなど、一定の成果を上げられる事があったとしても、「選挙」との決定的違いは、法的拘束力がないという事実です。但し、法的拘束力がなければ無意味という事ではありません。政治に対して常に民意を訴え続けていくことは、とても重要なことです。訴え続けなければなりません。その上で、国民・市民に「選挙」で選ばれた議員には、想像以上に「力」があるという事を再認識しています。何しろ、選ばれて国民・市民の代表として、議会政治の場で活動することを委任されたという事ですから、その力は、図らずとも大きなものになります。議会で多数派となれば、政治運営はやり易くなりますし、多数派政党の思惑も通りやすくなるでしょう。この本にも書かれていますが、日本はいま、「国民主権」というよりも「議会主権」と言った方が良いほどに、議会で多数を占める政党が政治の主導権を握ることになる状況が続いています。
議員が集まり、議会で決めたことに、国民(市民)は異を唱えることは出来ますが、覆すことは難しく、覆すことを委ねるのもまた議員という事になります。日本において、やはり議員を選ぶ「選挙」の役割は非常に大きいと、改めて思います。過去を省みて・現在を分析し・未来を展望して、熟慮を重ねて「選挙」に臨む事が大切ですが、最近の投票率の低さは、皆様ご承知の通りです。
そんな折に「国民投票の総て」を読んでみて、日本においても、もっと「国民投票」「住民投票」を幅広く行う事が出来たら、全ての人が納得は出来ないとしても、少しは民意を汲み取った政治運営がなされるのではないかと感じました。昨今、「国民投票」への関心が高まっているのは、日本政府が「憲法改正」に意欲を示しているからであると思われますが、ほかにもさまざまな項目について、「国民投票」が出来たならば、市民の意識も高まるでしょうし、議会も国民(市民)の方向にさらに目を向けた運営が為されるのではないでしょうか。日本の政治構造の変化を促す一つの要素になると思うのですが、どう思われますでしょうか。
この件に関しては、スイスの国民投票がとても参考になりますので、のちほど少し触れたいと思います。本書の第一章の最後に、『最終決定権を、議会から主権者・国民に移す』という項目がありますので、この部分もしっかりと読んで、自問し続けていきたいものです。
はたして、日本において「国民投票とは何か」という質問に明確に答えられる人はどのくらい居られるでしょうか。私自身も出来ないですし、ほとんどの方が出来ないのではないかと感じています。なにせ、日本は過去一度も「国民投票」をしたことがありません。一度も実施したことがないのですから、なぜ実施されて、どのように執り行われて、結果はどうなるのか、情報も少なく良く分からないというのが実情ではないでしょうか。経験が無いので、問題点も想像する以外にありません。「国民投票」の気配が強まる中、最低限でも国民投票とはどういうものか、何が問題なのかを知っておく必要があると思いましたので、日本における国民投票とその問題点について、少しだけ書き留めて置きたいと思います。
日本において「国民投票」は「憲法改正」の時のみ、実施の規定がされています。その結果は法的に拘束力があると言うことです。「憲法改正」以外の項目については実施規定がされていません。ただし、その他の項目について「国民投票」を実施してはならないという禁止条文はないので、編著者も述べていますが、他の項目についても「国民投票」を実施することは可能であろう、としています。法的拘束力はありませんが、民意を図る指標として有効なのではないかということです。法的拘束力は無くても、議会はその結果を無視できないであろう、という解釈です。
日本においては、「憲法改正法案」が議会(国会)に提示され、衆議院・参議院両院ともに定員議席の三分の二以上の賛成をもって可決された場合、その可否を問うための「国民投票」を実施しなければならない規定となっています。投票の結果、有効投票数の過半数以上の賛成で「憲法改正法案」は可決成立という事になります。
ここで、日本の国民投票の問題点と言われる部分を、いくつか挙げておきたいと思います。
まず一つは、先にも書きましたが、日本はまだ一度も国民投票をした経験が無いという事です。きちんとフェアな投票活動が出来るのかという不安があります。投票前の告知広告活動の費用の規定やインターネットを利用した広告活動の規定など、細かいことはまだ決められていません。またもう一つの問題点として、最低投票率や最低得票率も定められておらず、ここはまだ議論を深めていってもらいたいところです。最低でも、総有権者数の何%以上の賛成(反対)得票が必要という定めはあった方が良いのではないかと、個人的には考えています。さらに三点目の問題点としては、こちらも先に書きましたが、日本においては「憲法改正」以外の項目について、「国民投票」の規定が全くないという事です。つまりは、議会で憲法改正法案が発議されて可決されたとき以外は「国民投票」をする機会が無いという事になります。しかしながら、前述したように、他の議題について「国民投票」をしてはならないという禁止事項は規定されていないので、結果についての法的拘束力はありませんが、実施することは可能だと思われます。重要な議題に対して民意を測るには、とても有効な事ではないでしょうか。ぜひ幅広い議題でも「国民投票」がされることを期待したいと思います。
ではなぜ日本では現在まで、国民投票が行われていないのでしょうか。本書では、大きく三つの理由を挙げています。
1:前述していますが、現行法制では「憲法改正」以外の項目についての規定がなく、結果についての法的拘束力がないため「実施してもムダ」という風潮があること。
>これは日本国憲法第41条「国会は、国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関である」という条文から、国民側から法案を発議したり、あるいは議会で決められた法制の可否を問う国民投票の実施を国民側から発議することが憲法に抵触する恐れがあるということにも起因しているようです。
2:大衆は、重大な案件を判断する知識・判断力に欠けるという「衆愚論」。
>>議会で熟成された審議を、国民の無知と偏見で歪められる。
>>国民は善意であっても、賢明な判断は出来ない。衆愚になる。
3:2を理由に、議会が国民投票に否定的な立場にあること。
以上3点が、日本で国民投票が行われないおおまかな理由として、挙げられています。
つまり議会は、国民に判断を委ねたら大変なことになる(国民は無知で馬鹿だ)という考えの方が多いという事なのでしょう。これについて、本書では反論がされていて、
「その無知で判断力に欠ける国民の選んだ「選挙」の結果を、なぜ素直に受け取るのか」という事も指摘されています。「選挙」も「国民投票」も国民の判断したことに変わりはないのですから。都合の悪いことはやらないという事なのでしょうか。
実際、日本国内では、「憲法改正」以外の幅広い項目での国民投票への関心はそれほど高くはなく、実施には、かなりハードルは高いと思います。それでも、最終決定権を議会から主権者たる国民へ移行していくことは、その間に、たとえいろいろな間違いをしたとしても、より生きやすい社会を創っていくために必要な作業となるはずです。
ここで、海外の国民投票の事例も見ていきましょう。多くの国で、様々な項目について「国民投票」がされています。詳しくは、本書をお読みください。特にスイスでは2017年までに626回もの国民投票がされており、ダントツの実施数です。スイスはご存知のように、永世中立国ですが、国を護るために「国民皆兵・徴兵制」を導入しており、一定期間の兵役が義務付けられていて、国境の警備等に従事し、有事の際は予備役を含めて召集されるようです。また、スイスにおいては、細かい規定はあるものの、一定の条件を満たせば、国民側から法案を議会に提出して「国民投票」を実施するよう求めたり、議会で可決された法案に対して、こちらも条件を満たせば、その法案の「可否」を問う「国民投票」を実施することを発議することが出来る事が、日本とは大きく違う所です。スイスでは、過去に「徴兵制」の廃止についての発議が国民側から2回出されて、「国民投票」が実施されていますが、2回とも反対多数で否決されています。スイスの国民は「徴兵制は必要」と明確に示した事になります。
本書ではもうひとつ、スイスの性犯罪者に関わる刑法改正についての「国民投票」を採り上げています。これぞ「国民投票」の真骨頂といえる事例です。
性犯罪を犯し、服役して釈放された人物が再度犯罪を起こす事例が、スイスでも多くなっているようです。この事は、どの国においても非常に重要な課題となっているのはご存知かと思います。スイスでは、懲役囚に年に一度鑑定がされて、医師が「改心し更生した」と判断すると、服役途中でも釈放される制度になっており、その判断の正当性に対する疑念と、実際更生されたとして釈放された人物が再犯する事例が増加していることを踏まえて、「治療不可能で、極めて危険な性的暴力的犯罪者を永久に拘禁する」という刑法改正を求める発議がされました。この発議を行ったのは、自身の姪が性犯罪に遭遇し殺害されそうになった一人の女性を含む発議団体です。この刑法改正に関する「国民投票」を行う発議権を得るには、発議から18か月以内に有権者の2%(約10万人)の署名を集めなければなりません。個人の団体がこれほどの数を集めるのは非常に困難があったと思われますが、最終的には20万筆を集めて、議会や連邦政府が渋る中「国民投票」をする機会を得たのでした。この刑法改正の発議は、刑法の根幹を揺るがす重大な事案のため、海外メディアも注目していたようです。連邦政府はこの発議に対して「否決」を推奨としていましたが、結果は賛成多数で可決されました。そして政府は、直ちにこの結果を受け入れることを表明し、スイスの直接民主制の存在を世界に知らしめたとしています。しかしながら、この判断はスイスの人たちにとっても非常に悩ましかったのではないかと思います。更生するかしないかをどのように判定するかなど、揺れ動いたのではないでしょうか。それでも、国民投票を多く経験しているスイスの人たちだからこそ、真剣に真摯に向き合って考え抜いて判断を下したのだと思います。この判断が正しいかどうか、私には分かりません。国内でも意見の対立があったと思います。それでも、この問題について国民が深く悩み考え抜く事が大切なことなのではないでしょうか。
もし、日本で同じ問題について「国民投票」を実施できたなら、どのような判断を下すのか、見てみたい気もします。
以上、少しだけ海外の「国民投票」の事例を本書から抜粋して記しました。「国民投票」の実施には、様々な困難があると思われますが、未来に向けては、日本でも「憲法改正」以外の項目についても、実施出来るようにしていく事で、市民がいろいろな問題について自分事として捉えて、悩み考え判断する習慣と力が付いてゆくのではないかと思います。
「国民投票の総て」では、独裁政権下での「国民投票」についても詳細に記されています。ナチス政権下で、ヒトラーが実施した「国民投票」がどのように行われ、結果がどのように利用されたのかを知ることも大切です。
また、世界一民主的といわれたワイマール憲法下での国民投票は、非常に厳しく規定されていましたが、それがどのように崩されていったのかを知っておくことも、同じ轍を踏まないためにも重要です。
本書では、最後に日本の「憲法改正」と「国民投票」について『解釈改憲に終止符を』として、日本国民に対して大きな重い問題を突きつけています。
政府が憲法改正に意欲を示す中、「戦争反対」「改憲反対」「九条を守れ」という文言を非常に多く目にする事と思います。私自身は「戦争反対」ですし、憲法の改正にも懐疑的な立場にあります。しかし日本の憲法は解釈改憲を重ね、「不戦」「戦力不保持」を謳った九条も抜け殻のようになって、ほぼ違憲状態のようになっている事は多くの方が承知している事でしょう。「国を護るための戦力保持は憲法で認められる」として、多くの議員、多くの国民が自衛隊の戦力保持を容認し、その戦力は世界有数の規模にまで拡大しさらに大きくなろうとしています。加えて、集団的自衛権の行使まで容認され、「平和憲法」の輪郭すら霞んで見えなくなりそうです。
「戦争反対・改憲反対」と言われる「護憲派」の方々でさえ、積極的に戦争はしないが、攻められたら自衛隊「守ってね」と考えている方が多いのではないでしょうか。「九条の会」ですら、自衛隊の戦力保持について、明確な態度を示していないということが書かれていて、とても驚いています。既存の政党でも、自衛隊の即時武装解除を叫ぶ政党は見当たりません。
日本国民は、「国民投票」の際に、私たちは「戦争をする」のか、「戦争をしない」のか、の選択を迫られる事になります。
「戦争をしない」と言うことは、防衛のためにも戦わないということで、一切の戦争を否定することです。この選択をした場合のみ、既存憲法は守られ、改憲は不要ということになります。その際は自衛隊の武装は解除して、それこそ国際的な救助活動をする組織などに改編しなければならなくなります。
「防衛のためには戦う」ということであれば、「戦争をする」という選択になりますので、自衛隊を戦力として明記し、憲法を改正して違憲状態で戦闘に突入しないようにしなければならなくなるでしょう。
ただし、この部分に関しては、現行憲法を保持したまま、戦力の保持も容認するような新たな解釈を設け、曖昧なままにする状態にもって行くのではないかと、編著者は危惧しています。
私たちは、そろそろ「戦うか」「戦わないか」を決断して、その選択の先をどうするか迄、真剣に考える時期にきているように思います。
現状、私たち市民が政治に意思を示せる機会は「選挙」になりますので、よく考えて必ず投票はするようにして、幅広い項目についての「国民投票」が日本でも実施されるように動いてくれる政治家が現われる事を期待して待ちたいと思います。
現われるかな?
