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2023/12/06 17:41
とっても面白かった。そして恐ろしくもあり、脳に一撃を喰らった作品だった。
人間という生き物の、矛盾、不可思議さ、掴みどころのなさ、危うさを、
理解しているつもりでいたが、さらにはっきりと認識させられた。
生物の「進化」の一つの形態である「自然選択」という状態を表す言葉が、
人間社会の「進歩」における、ある特定の目的のために、
都合のいいようにねじ曲げられて解釈され、
おぞましい悪魔のような所業に、「科学的根拠」を与えてしまったとすれば、
それはまさしく「ダーウィンの呪い」といえるのかもしれない。
産業の発展と共に、人間社会は進歩しなければならない(本来は違うはずだが)という理想の元に、
生物の進化と人間社会の進歩という、本来は別次元であるはずの境が曖昧になって、
「ダーウィンがそういっている」という便利な道具を使い、優生学など数々の過ちを人間は犯してきた。
ただ、それを「特定の人がした事」として済ませてはならないと、著者は警告している。
なぜなら、それらはほとんどの場合「善意」から始まっているからだという。
そうした方が良い、「社会や人のためにはその方が良いはず」という、
善かれと思う気持ち、時々の社会の道徳心が発端となっているというのだ。
全ての人の中には、善意で包まれた悪魔の種子が、ひっそりと発芽の時を待っていると、
心得ておいた方が良いのだろうか。
気をつけなければならないのは、
ある目的のために、善意と「科学的根拠」を上手に駆使し、正義を語る者は要注意ということだ。
そして、自分自身もそういう言葉を語っていないかを、常に検証し続けなければならない。
この文章を書いている最中にも「進化の呪い」が自分自身を包んでいるかもしれない。
人間は、神を崇めつつ、悪魔と契約する、やっかいな存在だ。
「進化論の迷宮」の迷路を、人間が抜け出すことができる日は来るのか。
著者は最後に、希望を込めた呪いの言葉を私たちに投げつけている。
是非最後まで読んで、受け止めて欲しい。