本物のエコとは、人を愛する気持ち | 弥生坂 緑の本棚

Blogブログ

2023/10/22 16:50

エコロジーという言葉を最近、目や耳にする事が少なくなったように感じる。

せいぜい、エコカー減税くらいだろうか。
今は、SDGsやサスティナブルが呪文のように聞こえてくる。

『でも、SDGsやサスティナブルって、結局人間のためのものなんだよな』
と、SNSでつぶやいてる人がいて、ドキッとした。
温暖化防止、生物の多様性を守る、なんてカッコいいことを言っても、
所詮、人間が長く生き延びるためのものでしかない、と言われているようで、
そわそわして、落ち着かなくなってしまった。

そもそも生き物は、自分自身が生き延びるために生きている。
そしてあわよくば、次に命を託すために繁殖しようとする。
ほとんどの生き物がそうであるし、そのことを疑ったりしていないだろう。
だが人間は少し違うらしい。
自分だけのために生きることに、懐疑的で後ろめたさを持っている。
他の人、他の生き物、地球全体、さらには宇宙全体を鑑みなくてはいけないという、
見えない圧を、何者かにかけられているようだ。

確かに人の欲望は果てしなく、争い、戦いは絶えない。
歴史年表を見れば、殆どが戦いと争いの歴史であることがわかるはずだ。
およそ同種の生き物同士がするはずも無い事が繰り返されている。
そうした生き物だから、「他者のために生きた方が良いかも」回路みたいなものが、
取り付けられたのだろうか。

しかし、消費することで成り立つ社会構造の中で生きてゆくしかなくなった人間は、
すさまじい勢いで、他の生物や資源を消費しつくそうとしている。
今、人間に突きつけられ、問われているのは、前回のブログから引っ張ってきてしまうが、

「そこに愛はあるんか?」

だと思う。

『物には心がある』(田中忠三郎・著/アミューズエデュテイメント)を読んだ。(店舗カフェ内にて自由に閲覧出来ます)

心が震える、魂を揺さぶる文章だった。

田中忠三郎氏の衣服を中心とした、民俗考古学の輝かしい功績は、経歴としては、僅か数行の文章で綴られる。
この本には、その行間を埋めるに余りある、莫大な思索と行動、動機、苦悩と苦難、
そして何より、古代の人が紡ぎ、創り出した道具、衣服の中に、当時の人の心を見出したいという強い情熱に溢れていた。

食料も物資も乏しく、冬は凍てつく北の地で、凍えながらもなぜそこまで情熱を燃やし続けられたのか。
お金や名誉にけして靡かず、初心を貫き通せたのは、本書を読む限りでは、

『悔いなく生きる』

という、自身で決めた生きて行くための姿勢を崩さなかったことにあると感じた。
とはいえ、なかなか簡単に出来ることではないと思う。

自分の心に嘘をつかずに、蒐集を続けることで、のちに津軽三味線で広く知られるようになる「高橋竹山」、版画の「棟方志功」と出合い、寺山修司、黒沢明へと繋がってゆく。

「ひとつを極めると、全てに繋がる」というのは、まさにこのことのためにあるような言葉だと思った。

盲目の津軽三味線奏者「高橋竹山」氏の極貧時代、門付けをして凌いだ経験から得た知見が重く鋭いので、引用しておく。
以下引用
村の戸口で三味線を弾き、ひとつかみの米をもらい、山あいから海辺へ、北海道までもさすらう暮らしを何十年しているうちに様々な体験をしたが、その中でいつも考えさせられたのは、「人のやさしさ」であると言った。
「門付け」は必ずしも歓迎されたわけではない。それどころか。多くの場合は無視されるか門前払いされる。
中略
たとえ立派な門構えの屋敷に住んでいても、その人の心が豊かであるとは限らない。
「うるさいから」「よそでやれ」とまるで犬か猫のように「しっしっ」と手で追い払うのは概してそういう立派な家に住む人間であったという。逆に「ここからいただくのは申し訳ない」と思わず遠慮してしまいたくなるような粗末な家の住人が「寒かったでしょう」「お疲れでしょう」と家の中に招き入れて、一杯の粥を食べさせてくれたり、「何もないから」と申し訳なさそうに白湯を出してくれたりした。
そうやってこんな自分にもやさしくしてくれるのは、みな貧しくて弱い人たちだった。
だから、サブロー、おまえは将来どんなに偉くなって金持ちになったとしても、大きな屋敷を建ててそれを鼻にかけるような、くだらない人間にはなるなと私を諭した。人の貧乏を決して馬鹿にしたり笑ったりしてはいけないとも言った。
人間の価値というものは、持っているお金の多寡で決まるのではない。

自分が苦しいときに、どれだけ人にやさしくできるかだと、竹山氏は私に教えてくれた。

以上引用

『自分が苦しいときに、どれだけ人にやさしくできるか』、これは人間に与えられた命題であると思う。

自分はどうだろう。苦しいときに人にどれだけやさしくできるだろうか?

物や道具には、それを作りだした人、使ってきた人の気持ちがこもっている。物に宿る気持ちを感じとることが、物を大切に扱う心、ひいては人にやさしくする心を大きくしていくのだろう。

人にやさしくする気持ちが、真のエコロジーに続く道であると信じたい。