AIは人を支配するか | 弥生坂 緑の本棚

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2023/09/13 15:30

「生成AI」なるものの、進化が驚異的だ。

AIと雑談が出来るようになる日も近いという。
これを素直に喜んで良いのだろうか。

最近最終話を迎えたTVドラマ「CODE~願いの代償」(台湾の書籍が原作)を見ていた。
何でも願いをかなえてくれるアプリ「CODE」をめぐり引き起こされる事件。
その謎に迫る人物が、次々と抹殺されてゆく。誰が何のために?
最終話で明かされるのは、CODEのプログラム自身が、謎に迫り、AI自身の存在を脅かすものを排除するように、
プログラムをAIが自分で書き換えながら、人をコントロールしていたということらしい。
犯人はAIだった?でも、プログラムを起こしたのは人間だ。責任の所在というか、目的を達成するための意思は、
どこにあると認定されるのだろうか。実在しないのに、存在しているという不気味さがある。

このドラマを見る少し前に、「電子頭脳<ユエ>」(ウィリアム・カミュ著/角川文庫)を読んだ。(店頭で販売中)
少し既読感のある設定だったが、1977年の作品だという事を考えれば、現実的に先を読んだ内容と言えるかもしれない。
ちょっと面白いかもしれないと思ったのは、作品の最初の時代設定が西暦2020年から始まるものだったからだ。
以下少し内容に触れると、
2020年、核兵器と細菌兵器の使用で、人類はヨーロッパの一部のみを残して壊滅していた。
残されたわずかな人々は、人類が絶滅しないようにプログラムされた電子頭脳を作り、
人類の未来を<ユエ>と名付けたその電子頭脳に託した。そして数世紀が過ぎて・・。
電子頭脳<ユエ>は、人類が滅亡しないように人間の生活を完全に支配していた。
仕事、食料、婚姻、出産、名前、呼吸(酸素の消費量)、全ての生活内容は電子頭脳<ユエ>によってきめられていて、
個人の意思は入り込む余地はなく、ただ言われるままに日々を過ごしてゆくだけ。まさに生きているだけだ。
欲望の芽は摘み取られ、イレギュラーなものは排除される。
現代社会にも、似たような環境の場所はいくつもあるような気がする。

訳者あとがきによると、著者のウィリアム・カミュは、北米インディアンの血を引く父とヨーロッパ人の母の間に生まれたという。
現代社会と伝統社会、差別と被差別、社会の根底にある深い闇の対比がこの作品にはあるという解説だった。
作品は終盤、かなり荒っぽい展開をみせる。
が、そこには「AIは人を支配するか?」という問いに対する、ひとつの解答を示唆するものがあった。
電子頭脳には支配することが出来ない唯一のもの。
あまりに近くにあり、何か無いとその存在をつい忘れがちになってしまうもの。
その存在を忘れずに意識し続けられれば、人間が電子頭脳に支配されることは無いだろうと思いたい。
忘れたときに、人はAIに支配されることになる。
当たり前の事なのだが、改めて意識することが出来た、ありがたい作品だった。