「生きている」と「生きていた」の間 | 弥生坂 緑の本棚

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2023/09/02 15:24

『望郷の戦記 奇蹟の一式陸攻』(蔵増実佳・著/光文社NF文庫)
久しぶりに戦記ものを読んだ。
戦記は少し苦手で、たくさんは読めない。
どうしても、著者の体験を、そのままなぞってしまい、
本の中で追体験してしまうので、かなりエネルギーを取られてしまうから。

今回読もうと思ったのは、200回以上の出撃を重ねてなお生還したという人物に強く惹き付けられたのだと思う。
とても不謹慎な言い方になってしまうが、「なぜ、戻ってこられたのか?」に、とても興味が湧いた。

一式陸攻(一式陸上攻撃機)は太平洋戦争において、日本海軍の主力爆撃機として運用され、
艦載機ではなく、陸上から発着するため陸上攻撃機と言われたようだ。
長距離飛行をするため燃料を機体全体に積載出来るようにして、機体を軽くするため装甲は薄く、耐弾性能は低かったと言われている。
一発被弾すると燃え上がり、「ワンショットライター」ともあだなされていたようだ。
著者も文中で「空飛ぶ棺桶」と自嘲している。
搭乗員は定員7名で、撃墜されれば一度に7名の兵士を失うことになる。

大戦中期から末期にかけて、戦況が一段と悪くなり、兵士の墓場と言われたラバウルを拠点に、
著者は愛機の一式陸攻に搭乗し、毎度これが最後と覚悟して幾度となく出撃し、そして還って来た。
戦場の描写が明快で、その時の自身の思いや感情、戦況と考察が間断なく続き、スレスレのところで「生きている」臨場感がものすごい。
物資も、人材も不足するなか、上官も同期も若き士官も次々と還らぬ人となる。
航空機の戦闘では、帰還しないこと=「ほぼ戦死」となるので、字面では生々しさはないが、先ほどまで「生きていた」者が、もういない=存在が消えてしまう、という意味を考えると、背筋が凍る思いがする。一度の戦闘で、多数の命が消費される。怖ろしいことだ。

ただ、著者も妻子を内地に残しながら、出撃に際しての想いに迷いはない。
「戦況を良くしたい、打開したい、母国を守りぬく」そのために少しでも出撃して爆撃を行う。
まっすぐな揺らぎの無い想い。自ら軍人の道を選んだからだろうか?

内地に一時帰国した際にも、早く戻って攻撃に加わらなければと、そそくさと前線に帰ってゆく。
明日をも知れないわが身なのに「このきもちは何だろうか」と、著者自身も自問している。

ラバウル撤退を前後して、著者は研究関連に異動となった。
この後、海軍航空隊は解隊・改変され、特攻隊が編成されることになる。

死線を潜り抜けた人の言葉は熱く冷静だ。
そして「なぜ還らぬ人にならなかったのか」は、よくわからなかった。
熟練の技術と知識、的確な状況判断、運、など様々な条件はあるかと思うが、
特別な何か、というのは無いような気がする。

奇蹟と言ってしまえば、それまでになってしまうが、
生還するか、しないかの間には厚く高い壁があるようでいて、赤道を越えるか越えないかのようなものであるかもしれない。

「当時の一途な想いをくみ取ってもらえたら幸い」と、著者があとがきで書いていた。
その一途な想いにさせたものは何であったのか、国を護るということはどういうことなのか。
改めてその正体と意味を問い続けなければならないと思う。