『悔恨の建築』を読んでみた | 弥生坂 緑の本棚

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2023/08/22 14:41

古書買入で入荷した、「悔恨の建築」(笹間一夫・著/私家版/1999年)を通読してみた。

この本は、出版してくれるところが無く、著者存命中には本として発行は出来なかったようだ。
その後、家族によってワードプロセッサにて清書され、発刊したらしい。
変換ミスが少し見られ、手作り感が伝わってくる。

著者は、東京工業大学創設の1期生として建築を学び研究科まで進んでいる。
専門は空港建築だった様子。
就職もままならない折、海軍省から防空建築の誘いがあって、文官として海軍省に入る。
対弾構造物の研究を行い、当時の空爆の爆弾威力から耐圧コンクリートの厚みの計算等を行い、
海軍省の防空壕の設計をして、新橋駅近くの地下に強固な防空壕を建設している。
(その後、この防空壕には被弾が無く、完成度は不明なまま、終戦後の解体になり、
著者としては、解体はかなり厄介なものだっただろうと述懐している。)

時は昭和8年ごろ、太平洋戦争突入までは8年ほどあるが、
既に政府は、防空を意識していたという事だ。
このころはまだ、本土空襲という現実をほとんどの人は想像していなかったはずだ。
それでも昭和8年に軍部は、3日間に及ぶ「関東防空大演習」を敢行している。
海外の航空機情報から、空爆の脅威を感じ取っていたのではないだろうか。

これに関しては、著者も少し違う形で触れていて、戦後に知ったこととして、
反骨のジャーナリスト「桐生政次」の言動を少しだけ記載している。
当時、信濃毎日新聞主筆であった桐生政次は、「関東防空大演習」について、
「関東防空大演習を嗤ふ」という記事を書き、痛烈に批判している。
木造家屋の日本での防空の無意味さと、空襲を受けることになれば、
焦土は拡がり、何度も繰り返される事。灯火管制は逆効果になるなど、
今読めば、至極当たり前の事だが、陸軍の怒りを買って、信濃毎日新聞を追われてしまう。
昭和8年の時点で、この記事が書ける眼力はすごいことのように思う。
青空文庫で記事が読めるので、ぜひ読んでみてほしい。
桐生政次は、昭和16年の太平洋戦争勃発直前に、
日本の敗戦と完全武装解除を予言して亡くなっている。

本編に戻ると、著者は外地での戦闘に築く城壁の厚さなどの計算もさせられている。
南方にも軍艦に搭乗し視察に訪れたり、香港にも視察に行っている。
香港では民間人のための簡易防空壕が街中に置かれていて、
日本での必要性も感じていたようだ。

ただ、対弾構造物の研究はあくまで軍のためのものであり、
民間に利用されることはなかった。
民間個人の敷設の防空壕は、構造は簡素で、物資不足もあって、
直撃に耐えうる物では無いものがほとんどだったのではと思う。
(国の方針が変わって、消火活動優先となり、防空壕の構造は簡易にするように転換されたせいもある)
軍部の防空壕は、物資が最優先に入手できるので、鉄筋コンクリートの頑丈な物を作っていたようだ。

とても怖く感じたのは、一介の研究者が、研究の面白さと国の役に立つというやりがいの中で、
ごく自然に戦争の渦に呑み込まれていく様子が、あまりにも滑らかで疑いを持つという隙が無いことだ。

著者も戦争末期に、義理の父母と妹を空襲で亡くしている。
見つかったのは、竹製の防空壕の中だった。

冒頭で、著者は建築家として昭和10年から20年の間の履歴は空白にしている。と書いている。
この期間、胸を張って書ける人はいるだろうか?とも投げかけている。


『悔恨の建築』は、著者の苦みと傷みの混ざり合った苦悩のタイトルだったのだと思う。

太平洋戦争時の個人の日記や回想録が注目される昨今、この書籍も、貴重な史料となり得るだろうか。