商品説明
<古書>ロン・リット・ウーン著/枇谷玲子・中村冬美・訳/みすず書房。2020年10月2刷。
カバー、スレ、縁少ヨレ。天、地小口、薄くヤケ。小口、僅かにシミ。本文、薄くヤケありますがおおむね良。帯あり。
商品説明は、店主が読んだ感想になりますが、ご参考までに。
少し私的な事も交えてしまいますが、よろしければお読みください。
訳者の一人である「枇谷玲子」さんが、「きのこの本」を訳しているという話を伺ったのは、
2年以上前になるでしょうか。
「きのこ?」どんな本だろう?とその時は、あまり深く考えずにいたのですが、
発刊されたら、読む機会もあるだろうと頭の隅にそっと置いておきました。
私事になりますが、少し時間を遡ると、
2016年、お店をオープンさせた直後に、妻の母がまさかの急逝。
翌年には実の父が、思いもよらない形で急逝。
その後、妻の父が、これまた「えっ」という形で故人となり。
4年の間に3人の親を見送るという、予想だにしていない状況になっていました。
法事などに忙しく、「きのこの本」の事も記憶に上がらなくなっていたのかもしれません。
ところが最近、そのきのこの本=「きのこのなぐさめ」が古書で入ってきました。
「これだったんだ」と、急に記憶が甦り、読み始めました。
「きのこのなぐさめ」は、著者であるロン・リット・ウーンさんが、長い間生活を共にしてきた、敬愛するパートナーを突然失ってしまう事から始まり、無くしてしまった生きる意欲を取り戻していく様子を、きのこの話を織り交ぜながら語っています。
そして、失った後の喪失感や悲しみや苦悩の状態、心の不安定さなどは、、私の母が、父(夫)を思いがけず失ってしまった、その後の状況と全く同じものでした。
茫然自失のまま葬儀を終え、「なぜ」「どうして」、自問自答の日々。
表情は暗く、生きる意欲を無くしてしまっていました。
私は,霊感など全くありませんが、この時ばかりは、母の背後に黒い影を見て、少し怖くなったのを覚えています。
そんな状態のまま、3回忌を終えた頃、母はようやく近所を散歩に行くようになりました。
生前、父とは毎週のように歩きに出掛けていたので、歩くことは苦にしないタイプ。
時折、野の花や草を摘んできて、花瓶に飾るようになっていました。
訪ねていくと、今日はこんなのがあったと、私に見せてきます。
ある日、母はいつもの散歩ルートで「きのこ」を2種類見つけたようで、
「これこれ!」とドヤ顔をして見せてきました。
食べられるものではないけれど、なんだかとっても嬉しそうで、
心からの笑顔を久しぶりに見たような気がしました。
「きのこ」は不思議な生き物です。
菌であるのに、物体として私たちの目の前に姿を現します。
その姿を発見した時の、驚きや嬉しさや怖さ。
食材としても、その味・香り・食感など、私たちの生活に欠かせないものになっています。
きのこは人の心を震わせる何かを持っていると、常々思います。
「きのこのなぐさめ」の著者は、きのこの魅力に引き寄せられ、
その世界に深く関わっていくことになります。
本文では、きのこ事情がかなり詳しく綴られています。
著者はノルウェー居住ですが、北欧各国のきのこ事情の違いなども教えてくれています。
学名表記で本格的。時折、きのこの写真も現れて、和ませてくれます。
きのこ読本として読んでも良いくらいです。
きのことの関わりを深めていく中で、著者の心情も少しづつ移り変わっていった様子。
社会人類学者であるが故なのか、きのこに対する探求心が、著者の命の灯に、燃料を注いでくれたのではないでしょうか。
全てを納得して受け入れることは出来ないかもしれませんが、
この本の著者も、私の母も、すこしづつ前を向いて歩きだそうとしている場面なのだと思います。
生きる力を少し取り戻し、命の炎がちょっとだけ大きくなった感じです。
まだまだ、時間はかかると思いますが、一歩下がって見守っていきたいと思っています。
「魂の再生」という言葉を使うのは難しいです。
亡き人は戻らないし、魂は物質ではないので目の前には「再生」はされないでしょう。
もしあるとすれば、生きている者が再び生きていこうと決意し、命の炎を強く燃やし始めた時、
その人の内側で「再生」されるものなのかもしれません。
病気や事故だけでなく自然災害や感染症など、大切な人との突然の別れは、誰しも経験する可能性がありますし、また沢山いらっしゃることでしょう。
「きのこのなぐさめ」が、深い悲しみの淵に沈む人に射し込む一筋の光となることを願い、さらに、深い悲しみの淵に沈む人を見守る人への羅針盤となることを信じています。
暗く深い淵に沈む母を見つめてきた私にとっても、大きななぐさめとなりました。
管理番号BA-1